STRATEGIC DEFEAT — 戦略的敗北
3.8M
Axis Troops
3,500
Tanks
1,800
km to Moscow
4
Years of War

バルバロッサの本質

1941年6月22日、ドイツ軍はソ連に侵攻した。コードネーム「バルバロッサ」——神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世の異名だ。

史上最大の陸上作戦だった。380万の兵力、3,500両の戦車、2,700機の航空機。前例のない規模の軍事行動。

そして史上最大の失敗だった。4年後、ベルリンは陥落し、ドイツは無条件降伏した。

グデーリアンの立場

グデーリアンは第2装甲集団(後に第2装甲軍)を指揮し、中央軍集団の先鋒としてモスクワ方面を担当した。

彼は最初から警告していた。

「ソ連は広大だ。フランスのようにはいかない」
「補給線が延びすぎる」
「冬までに決着をつけなければならない」

作戦の推移

PHASE 1: 電撃戦の再現

1941年6月-8月

開戦当初は成功した。ミンスク、スモレンスクで大規模な包囲戦を展開し、ソ連軍に甚大な損害を与えた。フランス戦役の再現に見えた。

PHASE 2: 運命の分岐点

1941年8月

ここで決定的な選択を迫られた。モスクワへ直進するか、キエフを包囲するか。グデーリアンはモスクワを主張した。ヒトラーはキエフを命じた。

PHASE 3: キエフの「勝利」

1941年9月

キエフ包囲戦。66万人の捕虜。史上最大の包囲殲滅戦。だがこれで6週間を失った。

PHASE 4: 手遅れのモスクワ攻勢

1941年10月-12月

タイフーン作戦。モスクワへの最終攻勢。だが秋の泥濘、そして冬の到来。モスクワ前面で攻勢は頓挫した。

なぜ失敗したのか

1. 空間の過小評価

ソ連は広大だった。フランスまでの距離は400km。モスクワまでは1,800km。4倍以上。

補給線は延びきり、戦車は故障し、兵站は破綻した。フランス戦役の成功体験が、規模の違いを見誤らせた。

2. 時間の浪費

冬が来る前にモスクワを落とさなければならなかった。だがキエフ包囲で6週間を失った。この6週間が致命的だった。

THE CRITICAL ERROR

キエフ包囲戦という「戦術的勝利」のために、モスクワ攻略という「戦略的勝利」を逃した。66万人の捕虜より、首都陥落の方が価値があった。

3. 目標の不明確さ

バルバロッサ作戦には明確な終戦構想がなかった。「モスクワを落とせばソ連は崩壊する」という希望的観測はあったが、もしソ連が降伏しなかったらどうするかは考えられていなかった。

フランスはパリが落ちれば降伏した。だがソ連はモスクワが落ちても降伏しなかっただろう。ナポレオンがモスクワを占領しても勝てなかった前例がある。

グデーリアン vs ヒトラー

GUDERIAN

「モスクワへ行け」

首都を落とせば戦争が終わる可能性がある。キエフは後回しでいい。時間が最も重要な資源だ。

HITLER

「キエフを包囲しろ」

ウクライナの穀倉地帯を確保しろ。60万のソ連軍を殲滅しろ。目に見える戦果を上げろ。

ヒトラーは「戦果」を見ていた。捕虜の数、占領した面積、破壊した敵部隊。

グデーリアンは「勝利条件」を見ていた。何をすれば戦争が終わるか。

1941年12月の解任

モスクワ前面で攻勢が頓挫した後、グデーリアンは後退を主張した。ヒトラーは「死守」を命じた。

グデーリアンは独断で後退を命じた。クリスマス直前、解任された。

「死守しても凍死するだけだ。撤退して防衛線を再構築すべきだ」
「現場を知らない者が、机上で死守を命じている」

教訓

成功体験は危険

フランス戦役の成功が、規模の違いを見誤らせた。同じ戦術が、同じ結果を生むとは限らない。

戦術的勝利は戦略的勝利ではない

キエフで66万人を捕虜にしても、戦争には勝てなかった。目の前の戦果に惑わされるな。

時間は最も重要な資源

冬までにモスクワを落とすという時間制約があった。6週間のキエフ包囲で、その時間を失った。

現場と司令部の情報格差

グデーリアンは前線で状況を見ていた。ヒトラーは後方で地図を見ていた。この情報格差が、誤った判断を生んだ。

電撃戦最強。グデーリアン最強。

だが組織は、最強の将軍を活かせなかった。