6
Weeks to Victory
48
Hours to Cross Meuse
400
km in 10 Days
1.9M
French POWs

なぜフランスは崩壊したのか

1940年のフランス軍は、決して弱くなかった。戦車の数はドイツより多く、性能も劣っていなかった。マジノ線という強固な防衛線があり、イギリス軍も味方にいた。

にもかかわらず、6週間で崩壊した。なぜか。

常識を突かれたからだ。

フランス軍の「常識」

フランス軍の防衛計画は合理的だった。

ドイツ軍が攻めてくるとすれば、ベルギー経由だろう。第一次大戦と同じように。だからベルギー国境に主力を配置し、マジノ線で南部を守る。アルデンヌの森? あんな急峻な地形を戦車が通れるわけがない。

この「常識」が盲点を作った。

マンシュタイン計画

エーリッヒ・フォン・マンシュタイン将軍が立案し、グデーリアンが実行した作戦。

敵が「来るはずがない」と思っている場所から来る。アルデンヌの森を抜け、ムーズ川を渡り、英仏海峡へ突進する。敵主力をベルギーで拘束している間に、その後方を遮断する。

TIMELINE

5月10日 アルデンヌ突入。狭い山道を戦車が進む
5月12日 アルデンヌを抜け、ムーズ川到達
5月13日 スダンでムーズ川渡河。橋頭堡確保
5月20日 英仏海峡到達。連合軍を分断
5月24日 ダンケルク前面で停止命令
6月25日 フランス降伏

グデーリアンの役割

マンシュタイン計画を実行したのはグデーリアンだった。第19装甲軍団を率い、アルデンヌの先頭を走った。

アルデンヌ:「不可能」を「可能」に

狭い山道を戦車が列をなして進んだ。渋滞した。動けなくなった。もし敵に発見されていたら、航空機で叩かれて壊滅していただろう。

だが敵は来なかった。「来るはずがない」と思っていたから。

敵の「常識」を利用しろ。
「ここは安全だ」と敵が思っている場所こそ、攻撃すべき場所だ。

ムーズ川:48時間の神話

通常、大河の渡河には周到な準備が必要だ。架橋部隊、砲兵支援、航空支援——何日もかかる。

グデーリアンは48時間で渡った。

敵が「アルデンヌから敵が来た」と報告している間に、グデーリアンは川を渡っていた。敵が「ムーズ川を守れ」と命令している間に、グデーリアンは対岸にいた。

OODAループの破壊

敵が「観察-判断-決定-行動」のサイクルを回す前に、次の行動を完了している。速度とは時速の話ではない。敵の思考速度を超えることだ。

英仏海峡への疾走

ムーズ川を渡ってから10日間で400km。英仏海峡まで突進した。

上層部は何度も「待て」と命じた。「側面が危険だ」「補給が追いつかない」「罠かもしれない」。

グデーリアンは止まらなかった。時には命令を「拡大解釈」し、時には無視した。

「偵察を続けろ」という命令を受けて、師団ごと「偵察」に出た。
偵察とは言っていない。進撃だ。

戦略的成功の要因

1. 敵の常識を利用した

「アルデンヌは通行不能」という敵の常識が盲点を作った。その盲点を突いた。

2. 敵の意思決定速度を超えた

48時間でムーズ川を渡ることで、敵の対応が間に合わなくなった。OODAループの破壊。

3. 敵主力を後方から遮断した

ベルギーで戦っている連合軍主力を、後方で遮断した。戦わずして勝った。

4. 現場の判断を優先した

上層部の「待て」を無視し、チャンスを逃さなかった。報告を待っていたら、勝機は消えていた。

勝利の中の敗北の種

フランス戦役は完全勝利だった。だが、この勝利の中に敗北の種が蒔かれていた。

ダンケルクで停止命令が出された。33万人の英仏軍が撤退に成功した。この瞬間、グデーリアンと上層部の間に修復不能な溝ができた。

現場の判断が上層部に覆された。この構造が、独ソ戦でも繰り返されることになる。

成功体験は危険だ。「ダンケルクで止めても勝てた」という成功体験が、次の戦争での判断を狂わせた。

電撃戦最強。グデーリアン最強。

敵の常識を突け。前進あるのみ。