敗戦とヴェルサイユ条約
1918年、ドイツは敗北した。ヴェルサイユ条約により、ドイツ軍は10万人に制限された。戦車は禁止された。
だがこの制約が、逆説的に革新を生んだ。少数精鋭の軍隊は、質を追求するしかなかった。
戦車との出会い
自動車部隊への配属
グデーリアンは自動車輸送部隊に配属された。ここで初めて機械化部隊の可能性に触れた。
まだ戦車を直接扱う機会はなかった。だが英仏の戦車開発を研究し、理論を学び始めた。
フラー、リデル・ハートといった英国の理論家たちの著作を読んだ。戦車を集中運用し、縦深突破を行う——電撃戦の原型がそこにあった。
理論の構築
戦車戦術の講義を担当
まだ戦車を持っていないドイツ軍で、グデーリアンは戦車戦術の講義を始めた。模型とボードゲームで演習を行った。
グデーリアンは理論を体系化した。戦車は分散させず集中運用すべき。無線通信で統制すべき。歩兵・砲兵・航空機と連携すべき。
抵抗勢力との戦い
新しいアイデアには常に抵抗がある。
保守的な将校たちは戦車に懐疑的だった。「歩兵こそが戦争の女王だ」「戦車は歩兵を支援する兵器に過ぎない」
グデーリアンは戦い続けた。デモンストレーションを行い、論文を書き、講義を行い、支持者を増やしていった。
装甲師団の創設
第2装甲師団長就任
ヒトラーの再軍備宣言により、ドイツは公然と軍備を拡張し始めた。グデーリアンは念願の装甲師団を手に入れた。
理論が現実になった。戦車を中心に、自動車化歩兵、自走砲、工兵、通信部隊を統合した機動部隊——装甲師団が誕生した。
著書『Achtung - Panzer!』
『Achtung - Panzer!』出版
グデーリアンは自らの理論を一冊の本にまとめた。戦車戦の歴史、現状、そして未来。電撃戦のマニフェスト。
この本は広く読まれた。ドイツ軍内だけでなく、外国でも。グデーリアンの名は知られるようになった。
20 YEARS OF PREPARATION
1939年、電撃戦が世界を驚かせた。
だがそれは突然生まれたものではない。
20年間の理論構築と準備の成果だった。
1939年、戦争へ
1939年9月1日、ポーランド侵攻。グデーリアンは第19装甲軍団を率いて出撃した。
20年間準備してきた電撃戦を、実証する時が来た。
電撃戦最強。グデーリアン最強。
20年かけて準備した。前進あるのみ。