敗戦とヴェルサイユ条約

1918年、ドイツは敗北した。ヴェルサイユ条約により、ドイツ軍は10万人に制限された。戦車は禁止された。

だがこの制約が、逆説的に革新を生んだ。少数精鋭の軍隊は、質を追求するしかなかった。

戦車との出会い

1922

自動車部隊への配属

グデーリアンは自動車輸送部隊に配属された。ここで初めて機械化部隊の可能性に触れた。

まだ戦車を直接扱う機会はなかった。だが英仏の戦車開発を研究し、理論を学び始めた。

フラー、リデル・ハートといった英国の理論家たちの著作を読んだ。戦車を集中運用し、縦深突破を行う——電撃戦の原型がそこにあった。

理論の構築

1927

戦車戦術の講義を担当

まだ戦車を持っていないドイツ軍で、グデーリアンは戦車戦術の講義を始めた。模型とボードゲームで演習を行った。

「本物の戦車がなければ、模型で演習すればいい」

グデーリアンは理論を体系化した。戦車は分散させず集中運用すべき。無線通信で統制すべき。歩兵・砲兵・航空機と連携すべき。

抵抗勢力との戦い

新しいアイデアには常に抵抗がある。

保守的な将校たちは戦車に懐疑的だった。「歩兵こそが戦争の女王だ」「戦車は歩兵を支援する兵器に過ぎない」

グデーリアンは戦い続けた。デモンストレーションを行い、論文を書き、講義を行い、支持者を増やしていった。

装甲師団の創設

1935

第2装甲師団長就任

ヒトラーの再軍備宣言により、ドイツは公然と軍備を拡張し始めた。グデーリアンは念願の装甲師団を手に入れた。

理論が現実になった。戦車を中心に、自動車化歩兵、自走砲、工兵、通信部隊を統合した機動部隊——装甲師団が誕生した。

著書『Achtung - Panzer!』

1937

『Achtung - Panzer!』出版

グデーリアンは自らの理論を一冊の本にまとめた。戦車戦の歴史、現状、そして未来。電撃戦のマニフェスト。

この本は広く読まれた。ドイツ軍内だけでなく、外国でも。グデーリアンの名は知られるようになった。

20 YEARS OF PREPARATION

1939年、電撃戦が世界を驚かせた。
だがそれは突然生まれたものではない。
20年間の理論構築と準備の成果だった。

1939年、戦争へ

1939年9月1日、ポーランド侵攻。グデーリアンは第19装甲軍団を率いて出撃した。

20年間準備してきた電撃戦を、実証する時が来た。

電撃戦最強。グデーリアン最強。

20年かけて準備した。前進あるのみ。