栄光から転落へ

1939年から1941年まで、グデーリアンは勝利を重ねてきた。

ポーランド戦役、フランス戦役、そしてバルバロッサ作戦の初期段階。ミンスク、スモレンスク、キエフ。電撃戦は無敵に見えた。

だが1941年12月、モスクワ前面でそれは終わった。

モスクワ攻勢の失敗

SITUATION: DECEMBER 1941

気温マイナス30度。潤滑油が凍り、エンジンがかからない。防寒具は届かない。補給線は破綻。そしてソ連軍の反攻が始まった。

グデーリアンの第2装甲軍はモスクワ南方で停止していた。もはや前進する力はなかった。

ソ連軍は12月5日から反攻を開始した。シベリアから移送された新鮮な部隊が投入された。ドイツ軍は押し戻され始めた。

後退か死守か

グデーリアンは後退を主張した。

「現在地を死守しても凍死するだけだ。後退して防衛線を再構築すべきだ」

ヒトラーは「死守」を命じた。「一歩たりとも退くな」と。

グデーリアンは反論した。現場の状況を説明した。数字を示した。だが聞き入れられなかった。

解任

グデーリアンは独断で部隊の後退を命じた。

DECEMBER 26, 1941

グデーリアン、第2装甲軍司令官を解任

クリスマスの翌日だった。ポーランド戦役から2年余り。電撃戦の英雄は、敗北の責任を負わされて追放された。

「予備役」という名の追放

グデーリアンは「総統予備」に編入された。実質的な引退だった。

ベルリンの自宅で、ただ待つ日々が始まった。戦争は続いているのに、自分は何もできない。

心臓発作を起こした。精神的にも肉体的にも、限界だった。

1年半の蟄居

1941年12月から1943年2月まで、グデーリアンは前線から離れていた。

その間にドイツ軍は敗北を重ねた。スターリングラード、北アフリカ。状況は悪化し続けた。

そしてヒトラーは、再びグデーリアンを必要とした。

電撃戦最強。グデーリアン最強。

正しいことを言って解任された。前進あるのみ。