装甲兵総監として復帰

1943年2月

装甲兵総監就任

スターリングラードの敗北後、ヒトラーはグデーリアンを呼び戻した。装甲部隊の再建を任された。

1年半の蟄居の後、グデーリアンは復帰した。だが状況は悪化していた。東部戦線は崩壊しつつあり、北アフリカは失われ、連合軍はイタリアに上陸していた。

グデーリアンは装甲部隊の再建に取り組んだ。生産を増やし、訓練を改善し、新型戦車(パンター、ティーガー)を前線に送った。

クルスクへの反対

1943年7月

クルスクの戦い

グデーリアンはクルスク攻勢に反対した。「新型戦車を無駄に消耗させるな」と。だが作戦は実行され、失敗した。

グデーリアンの警告は正しかった。クルスクでドイツ軍は大量の戦車を失い、東部戦線での攻勢能力を永久に失った。

参謀総長就任

1944年7月21日

陸軍参謀総長就任

ヒトラー暗殺未遂事件の翌日。前任者ツァイツラーは「病気」で退任。グデーリアンが後任に指名された。

軍歴の頂点だった。だが最悪のタイミングだった。東部戦線は崩壊し、西部ではノルマンディーに連合軍が上陸していた。

ヒトラーとの対立

参謀総長として、グデーリアンは毎日ヒトラーと顔を合わせた。そして毎日のように対立した。

TYPICAL CONFRONTATION

ヒトラー:「この陣地を死守せよ」

グデーリアン:「不可能です。兵力が足りません」

ヒトラー:「死守しろと言っている!」

グデーリアン:「数字をご覧ください。我々は20万、敵は60万です」

グデーリアンはデータで反論した。感情ではなく数字で。だが聞き入れられなかった。

2度目の解任

1945年3月28日

2度目の解任

東部戦線の将軍人事をめぐってヒトラーと激しく対立。「健康上の理由」で解任され、6週間の休暇を命じられた。

敗戦まであと6週間。グデーリアンは最後まで戦い続けたが、もはや止められなかった。

「私にできることは全てやった。だが戦争の帰趨を変えることはできなかった」

限界の中で

参謀総長としてのグデーリアンに何ができたか。

正しい判断を主張し続けた。データで反論した。だがヒトラーは聞かなかった。

クーデターに参加することもできた。だがグデーリアンは選ばなかった。将軍として、職責の範囲内で最大限やった。

それが限界だったのか、それ以上できたのかは、今でも議論がある。

電撃戦最強。グデーリアン最強。

最後まで言い続けた。前進あるのみ。