翌朝。
リンは目を覚ました。
いつもと違う感覚。体が軽い。心が軽い。
隣にミオがいる。まだ眠っている。銀髪が枕に広がっている。
リンは天井を見た。
——昨日のこと。
レナと話したこと。マルコのこと。全部、覚えている。
涙が出そうになった。でも、悲しい涙じゃない。
——許された。
その実感が、胸を満たしていた。
リンは体を起こそうとした。ミオの腕がリンの腰に回っている。離れようとすると——
手が震えた。
——まだ、これか。
許されても、変わらないものがある。ミオがいないと、体が勝手に震える。離れようとするだけで、不安になる。
——依存は、治ってない。
でも、それでいい。リンはそう思った。
「リン……?」
ミオが目を覚ました。琥珀色の瞳がリンを見つめる。
「おはよう」
「おはよ」
ミオが身体を起こした。リンを見た。
「リン、顔が違う」
「え?」
「軽そう。——いい顔」
リンは笑った。自然に笑えた。
「うん。軽いわ」
朝食を食べて、ギルドに向かった。
いつもの道。いつもの風景。
でも、何かが違った。
リンの足取りが軽い。呼吸が深い。世界が明るく見える。
「リン、今日はどこ行く?」
ミオが聞いた。
「ダンジョン。——久しぶりに、深層に行きましょう」
「うん!」
ミオが嬉しそうに笑った。
ギルドに着くと、エルマが声をかけてきた。
「あら、リンさん。今日は表情が明るいわね」
「……そう?」
「ええ。何かいいことあった?」
リンは少し考えた。
「——うん。あったわ」
エルマが微笑んだ。でも、すぐに表情が少し曇った。
「よかった。……でも、相変わらずね」
「何が?」
エルマが二人を見た。リンとミオ。手を繋いでいる。いつも通り。
「いつも一緒。離れないのね」
リンは何も言えなかった。
「ごめんなさい、余計なこと言って。——気をつけてね」
エルマの目が少しだけ心配そうだった。
依頼を受け取って、ダンジョンに向かおうとした時。
「リン」
声がした。
振り返ると、レナがいた。銀髪の女性。昨日と同じ顔。でも、表情が違う。穏やかだった。
「レナ」
「今から依頼?」
「ええ」
「そう。——頑張って」
レナが笑った。自然な笑顔。
リンも笑い返した。
「ありがとう」
そして、ふと思った。
「レナ」
「何?」
「——一緒に来る?」
ミオが驚いた顔をした。レナも目を見開いた。
「え?」
「深層に行くの。三人なら、もっと安全でしょ」
レナは何も言えなかった。
そして、笑った。
「いいの? 私で」
「マルコの妹でしょ。——戦えるの?」
「一応、冒険者よ。兄に鍛えられたから」
「じゃあ、来て」
リンは振り返った。ミオを見た。
「ミオ、いい?」
ミオは少し考えた。そして、頷いた。
「リンがいいなら、ミオもいい」
深層十六層。
三人はダンジョンを進んでいた。
リンが前を歩く。魔力感知で敵を探る。ミオが隣。レナが後ろ。
「前方、二体。右に一体」
リンが声を出した。
「ミオ、右。レナ、左。私が中央を牽制」
「うん!」
「わかった」
三人が動いた。
連携は完璧じゃない。レナはまだリンの指示に慣れていない。
でも、悪くなかった。
ミオが右の魔物を斬る。レナが左に突進する。リンが魔法で牽制。
戦闘は短かった。
「——終わり」
リンが息を吐いた。
「すごい」
レナが目を見開いていた。
「これが、兄さんが話してた連携……」
「まだまだよ。レナがいると、少しずれる」
「ごめん」
「謝らなくていい。慣れればいいだけ」
リンはレナを見た。
「マルコも、最初はずれてたわ」
レナが息を呑んだ。
「でも、すぐに合うようになった。——あなたも、きっとそう」
ダンジョンを抜けて、地上に戻った。
夕暮れ時。空がオレンジ色に染まっている。
三人はギルドに向かって歩いていた。
「疲れた」
ミオが言った。
「でも、楽しかった」
「そう?」
「うん。三人は、二人より強い」
リンは笑った。
「そうね」
レナが黙って歩いていた。何か考えている顔。
——この二人、やばいな。
レナはそう思っていた。
戦闘中は完璧だった。リンの指示、ミオの実行。息が合っている。
でも、それ以外の時間——二人は常にくっついている。手を繋いで、離れない。少しでも距離が開くと、両方とも落ち着かなくなる。
さっきも、レナが間に入ろうとしたら、二人とも微妙に避けた。無意識に。
——兄さんが言ってた「共依存」って、これか。
レナは理解した。この二人は、離れられない。離れたら壊れる。
——でも、それが二人の選択なら、私が言うことじゃない。
「レナ」
「——うん」
「どうだった?」
レナが立ち止まった。リンとミオも止まる。
「兄さんが、信頼してた理由がわかった」
レナの声が静かだった。
「あなたの指示は、的確で、信頼できる。——兄さんが盾になりたいって思った理由が、わかった」
「……」
「リン」
レナがリンを見た。目が潤んでいる。
「私も、あなたの盾になりたい」
リンは息を呑んだ。
マルコと同じ言葉。
レナが続けた。
「兄さんの代わりじゃない。私として」
「……」
「兄さんが守りたかったものを、私も守りたい。——それでいい?」
リンは何も言えなかった。
涙が出そうになった。
ミオがリンの手を握った。
「リン」
「……うん」
リンは深く息を吸った。吐いた。
そして、レナに言った。
「——ありがとう」
レナが笑った。涙が零れていた。
「ありがとうは、私のセリフ」
三人は笑った。泣きながら、笑った。
ギルドで報酬を受け取った。
三人で分けた。
「また、一緒に行こう」
レナが言った。
「——いいわ」
リンが頷いた。
ミオも頷いた。
「レナさん、強いね」
「兄さんほどじゃないけど」
「でも、いい動き。——また来てね」
レナが笑った。
「うん。また来る」
宿に帰った。
二人きり。
リンはベッドに座った。ミオが隣に座る。
「リン」
「何」
「今日、楽しかった?」
「……うん」
リンは目を閉じた。
「楽しかった」
「よかった」
ミオがリンに寄りかかった。
「リン、変わったね」
「そう?」
「うん。軽くなった。——いい意味で」
リンは笑った。
「許されたから、かもしれない」
「許された?」
「レナに。——マルコに」
リンは深く息を吸った。
「三年間、ずっと背負ってた。でも、昨日——降ろせた」
「……」
「まだ完全じゃないけど。でも、楽になった」
ミオがリンを抱きしめた。
「よかった」
「……うん」
「リンが楽になって、ミオも嬉しい」
リンはミオを抱きしめ返した。
——でも。
リンは思った。
ミオを抱きしめている腕が、離せない。
許されても、楽になっても——この依存は治らない。むしろ、深まっている気がする。
——やばいのかもしれない。
でも、やめられない。ミオがいないと、まだ震える。まだ怖い。
——これでいいのかな。
「ミオ」
「うん」
「ミオのおかげよ」
「え?」
「あなたがいなかったら、私は——壊れてた」
「……」
「ありがとう」
「——リンこそ」
二人は抱き合ったまま、長い間そうしていた。
リンは思った。
——依存は治らない。許されても、楽になっても。
——でも、それでいい。今は。
*第28話 完*