レナは窓辺に座っていた。
ミオが去った後、ずっとそうしている。涙は止まった。でも、頭の中は嵐のようだった。
——マルコさんがどんな人だったか、もっと考えて。
ミオの言葉が頭から離れない。
——リンを責めるのが、マルコさんの望みだったのかどうか。
レナは目を閉じた。
兄の顔を思い出す。
幼い頃の記憶。
レナは五歳。マルコは十歳。
「レナ、泣くな」
兄の声が聞こえる。膝を擦りむいて泣いているレナを、兄が抱き上げた。
「兄ちゃんがいるだろ。大丈夫」
大きな手。温かい声。
兄はいつも守ってくれた。レナが泣いていると、すぐに駆けつけてくれた。
「俺は強くなる。お前を守れるくらい、強く」
兄の目は真剣だった。
「誰も泣かせない。誰も傷つけない。そういう強さが欲しい」
冒険者になると言い出したのは、兄が十五歳の時だった。
「冒険者? 危ないじゃない」
母が心配した。
「大丈夫。俺は強くなる」
兄は笑っていた。
「誰かを守れる強さが欲しいんだ。そのために、冒険者になる」
レナは兄の背中を見た。大きな背中。
「俺は盾になる。誰かの盾に」
その言葉を、レナは覚えていた。
兄が帰省したのは、三年前の夏だった。あの事件の、数ヶ月前。
「すごい奴がいる」
兄は興奮していた。
「天才だ。本当の天才」
「どんな人?」
「名前はリン。魔術師で、司令塔。あいつの指示は完璧だ」
兄の目が輝いていた。
「あいつがいれば、俺たちはどこまでも行ける」
「へえ……」
レナは兄を見た。こんなに誰かを褒める兄は珍しかった。
「兄さん、その人のこと好きなの?」
兄が笑った。
「好きとかじゃない。信頼だ」
「信頼?」
「あいつは絶対に俺たちを見捨てない。だから俺も、あいつを見捨てない」
兄は真剣な顔になった。
「俺はあいつの盾になる。それが俺の役目だ」
レナは目を開けた。
涙が零れていた。
——兄さん。
兄はリンを信頼していた。リンの盾になることを、自分の役目だと思っていた。
そして、その通りに——盾になって、死んだ。
——後悔、してなかったのかな。
レナは考えた。
兄の最後の言葉。「お前は生きろ」
それは呪いじゃない。
願いだった。
リンに生きてほしいという、願い。
——兄さんは、リンを守って死んだ。
——それを、私は——
レナは立ち上がった。
リンの宿に着いた。
扉をノックする。
開いたのはミオだった。警戒した目。
「——また来た」
「話がしたい」
レナの声は静かだった。
「責めに来たんじゃない」
ミオが少し驚いた顔をした。
「……入って」
部屋の中。
リンがベッドに座っていた。顔が疲れている。目の下にクマ。
レナを見て、体が強張った。
「レナ……」
「話がある」
レナは向かいに座った。ミオがリンの隣に座る。
沈黙が流れた。
レナが口を開いた。
「兄のことを話させて」
リンが息を呑んだ。
「兄は、あなたのことを話してた」
レナの声が震えた。
「三年前の夏、帰省した時。すごい奴がいるって、興奮してた」
リンは何も言えなかった。
「天才だって。本当の天才。あいつの指示は完璧だって」
レナの目から涙がこぼれた。
「兄は言ってた。『あいつがいれば、俺たちはどこまでも行ける』って」
リンの目が揺れた。
「そして——『俺はあいつの盾になる。それが俺の役目だ』って」
リンは動けなかった。
マルコの言葉。
マルコが自分をどう思っていたか。
知らなかった。こんなに、信頼されていたなんて。
「兄は——」
レナの声がかすれた。
「あなたを守って死んだことを、後悔してないと思う」
リンが顔を上げた。
「なぜ……そう思うの」
「兄を知ってるから」
レナが真っ直ぐリンを見た。
「兄は盾になりたかった。誰かを守る盾に。それが兄の夢だった」
「……」
「あなたを守れたなら、兄は——」
レナの声が途切れた。涙が止まらない。
「兄は、喜んでると思う」
リンの目から涙がこぼれた。
止められなかった。
三年間、ずっと背負ってきた重さ。
マルコを殺したという罪悪感。
でも——
マルコは、守りたくて死んだ。
盾になりたくて、なった。
それは——後悔じゃない。
「マルコ……」
リンの声が震えた。
「ごめんなさい」
「——」
「ずっと、恨まれてると思ってた。『大丈夫だって言ったのに』って。それが、最後の言葉で——」
リンは顔を覆った。
「ずっと、呪いだと思ってた。私を責める言葉だって——」
レナが首を振った。
「違うと思う」
レナの声が静かだった。
「兄は、悲しかっただけだと思う。あなたを守りきれなかったことが」
「——っ」
「『大丈夫だって言ったのに』は、あなたへの言葉じゃない。自分への言葉だと思う」
リンは何も言えなかった。
涙が止まらない。
ミオがリンを抱きしめた。強く。
レナも泣いていた。
三人の泣き声が、部屋に響いた。
長い時間が過ぎた。
涙が止まった。
レナが立ち上がった。
「私——」
声がかすれていた。
「あなたを恨むのは、やめる」
リンが顔を上げた。
「恨んでも、兄は帰ってこない。それに——」
レナがリンを見た。
「兄が守ったものを、私が壊すのは、違う」
リンは何も言えなかった。
「兄の代わりに言う」
レナの声が震えた。
「生きてくれて、ありがとう」
リンの世界が止まった。
三年間。
ずっと責められると思っていた。
ずっと恨まれると思っていた。
でも——
「ありがとう」
その言葉が、胸に刺さった。
涙が溢れた。声が出なかった。
ミオがリンを抱きしめている。レナが見ている。
リンは泣いた。
三年分の涙を、全部吐き出すように。
*第26話 完*