朝の光が窓から差し込んでいた。
ミオは目を覚ました。隣を見る。リンがまだ眠っている。
黒髪が枕に広がっている。顔は穏やかだが、目の下にクマがある。疲れが見える。
昨夜のことを思い出す。リンが離れようとしたこと。泣いたこと。抱き合ったこと。
——リンは、苦しんでる。
レナに責められて、過去を掘り返されて、心が削られていく。
ミオにはそれがわかった。リンの震えが、涙が、全部わかった。
——守らなきゃ。
その思いが、ミオの胸を満たした。
リンを守る。それだけがミオの意志。リン以外で、ミオが自分で決めた唯一のこと。
ミオは静かにベッドを降りた。リンを起こさないように。
身支度をして、部屋を出る。
宿の外は朝の光で明るかった。
ミオは立ち止まった。
——どうすればいい。
考える。自分で考える。
孤児院の声が聞こえる。「考えるな。言われた通りにしろ」
でも、今は違う。
リンの指示がなくても、ミオは動ける。動かなきゃいけない。
——リンを苦しめてるのは、レナさん。
レナがリンを責めるたびに、リンは壊れていく。
——レナさんに、会う。
ミオは決めた。
自分で。
ギルドに着いた。
受付にエルマがいる。いつもの笑顔。
「あら、ミオちゃん。一人? リンさんは?」
「まだ寝てる」
「そう。珍しいわね」
ミオはエルマに近づいた。
「あの、銀髪の新人さん……レナさん、どこにいるかわかりますか」
エルマが少し驚いた顔をした。
「レナさん? ええ、知ってるわ。どうしたの?」
「話がある」
「……そう」
エルマが何かを察したように頷いた。
「駅前通りの『青い鳥亭』よ。二階の奥の部屋」
「ありがとう」
ミオは走り出した。
青い鳥亭。小さな宿屋。
ミオは二階に上がった。奥の部屋。扉の前で立ち止まる。
心臓がドキドキしている。手が少し震えている。
——でも、やる。
ミオは扉をノックした。
「誰」
レナの声。
「ミオ」
沈黙。そして、扉が開いた。
レナが立っている。銀髪。鋭い目。でも、どこか疲れた顔。
「あなた……リンと一緒にいる子」
「うん。話がある」
レナが少し考えた。そして、扉を開けた。
「入って」
部屋は狭かった。ベッドと、机と、椅子が一つ。
レナが椅子に座った。ミオは立ったまま。
「何の話?」
レナが聞いた。
「リンを苦しめないで」
ミオの声が真っ直ぐだった。
レナが目を細めた。
「苦しめてる? 私は真実を聞きたいだけよ」
「真実は聞いたでしょ」
ミオの声が硬い。
「リンが悪かった。リンの判断ミスでマルコさんが死んだ。——それが真実。リンが言った」
「それだけじゃ——」
「じゃあ、何が欲しいの」
ミオがレナを見つめた。
「リンに何をさせたいの。謝らせたい? 泣かせたい? 壊したい?」
「——っ」
レナが言葉に詰まった。
「リンはもう十分謝った。十分泣いた。これ以上、何を求めてるの」
沈黙が流れた。
レナが目を逸らした。
「……わからない」
声がかすれていた。
「わからないの。私も」
レナは窓の外を見た。
「最初は恨んでた」
声が静かだった。
「三年間、ずっと。兄を殺した女を恨んでた」
「……」
「でも、会ってみたら——」
レナが振り返った。目が潤んでいる。
「リンも苦しんでる。三年間、ずっと。悪夢を見て、震えて、自分を責めて」
「うん」
「私だけが苦しいんじゃないって、わかった」
レナの声が震えた。
「でも、だからって許せるわけじゃない」
「……」
「兄は死んだのよ。帰ってこないのよ。それは変わらない」
レナが顔を覆った。
「どうすればいいか、わからないの。恨んでいいのか、許していいのか」
ミオは黙って聞いていた。
そして、口を開いた。
「マルコさんは、どんな人だった?」
レナが顔を上げた。驚いた目。
「え?」
「リンを守って死んだんでしょ。——それって、どんな人がすること?」
レナは何も言えなかった。
「優しい人? 強い人? 大切な人を守りたいって思う人?」
「……兄は」
レナの声がかすれた。
「強くて、優しくて……馬鹿みたいにまっすぐな人だった」
「うん」
「誰かを守るために自分を犠牲にするような……そういう人だった」
ミオは頷いた。
「じゃあ、聞くね」
ミオの目が真っ直ぐレナを見た。
「そういう優しい人なら、リンを責めるの、喜ぶ?」
レナが息を呑んだ。
「——っ」
「マルコさんが守ったリンを、苦しめて、責めて、壊すの——マルコさんは喜ぶ?」
レナは何も言えなかった。涙が零れた。
「わからないよ……」
「ミオもわからない。マルコさんに会ったことないから」
ミオの声が静かだった。
「でも、一つだけわかる」
「何……」
「リンは、マルコさんのこと、ずっと背負ってる」
ミオの目から涙が零れそうになった。
「三年間、一日も忘れてない。悪夢で見て、自分を責めて、苦しんで」
「……」
「それって、マルコさんを大切に思ってるからでしょ。忘れてないからでしょ」
レナが泣いている。声を殺して。
「だから、責めないで」
ミオの声が震えた。
「もう十分なの。リンは十分苦しんだ。これ以上は——」
ミオは言葉を止めた。
深く息を吸った。吐いた。
「これ以上苦しめたら、ミオが許さない」
沈黙が流れた。
レナは泣いていた。ミオも泣いていた。
長い時間が過ぎた。
そして、ミオは振り返った。
「帰る」
「……」
「リンのところに」
ミオは扉に向かった。
扉を開ける前に、振り返った。
「レナさん」
「……何」
「マルコさんがどんな人だったか、もっと考えて」
ミオの声が静かだった。
「リンを責めるのが、マルコさんの望みだったのかどうか」
扉が閉まった。
レナは一人残された。
窓から光が差し込んでいる。涙で視界がぼやけている。
——兄さん。
レナは目を閉じた。
兄の顔を思い出す。強くて、優しくて、馬鹿みたいにまっすぐな兄。
「お前は生きろ」
兄がリンに言った最後の言葉。
——兄さんは、リンを守って死んだ。
——守ったリンを、私が苦しめてる。
——それって……
レナは顔を覆った。
嗚咽が漏れた。
——わからない。わからないよ、兄さん。
——どうすればいいの。
部屋に、レナの泣き声だけが響いていた。
*第25話 完*