数日が経った。
リンとミオはダンジョンに行っていた。依頼をこなし、報酬を受け取り、宿に帰る。いつもの日常。
でも、何かが違っていた。
リンの様子がおかしい。
ダンジョンでは完璧に指示を出す。戦闘では冷静に動く。でも、それ以外の時間——考え込んでいることが多くなった。
食事中も、移動中も、どこかぼんやりしている。
「リン」
ミオが呼んだ。
二人は宿の部屋にいた。夕食を終えて、ベッドに座っている。
「何」
「考え事?」
「……ええ」
リンは窓の外を見た。暗い空。星が見える。
「レナさん、また来るかな」
ミオの声が小さい。
「……来るでしょうね」
リンは深く息を吐いた。
レナは「また来る」と言った。「まだ聞きたいことがある」と。
逃げられない。逃げちゃいけない。
でも——怖い。
また責められる。また過去を掘り返される。また——
「リン」
ミオがリンの手を握った。
「ミオがいるよ」
「……うん」
リンはミオの手を握り返した。
温かい。それだけが救いだった。
翌日。
ギルドで依頼を受け取ろうとした時、声をかけられた。
「リン」
レナだった。
銀髪の女性。マルコの妹。三日ぶりの再会。
「話の続きがしたい」
レナの目が真剣だった。
リンは頷いた。
「——宿に来て」
宿の部屋。
三人が向かい合う。リンとミオが並んで座り、レナが向かいに座る。
前回と同じ配置。でも、空気が違う。
レナの目が違う。覚悟を決めた目。
「前回、あなたは『判断ミスだった』と言ったわね」
レナが口を開いた。
「ええ」
「具体的に、何が間違っていたの」
リンは息を吸った。
「ルート選択」
「詳しく」
「十二層の奥に抜ける道は三つあった。私は右のルートを選んだ。魔物の密度が低いと判断したから」
「それが間違いだった?」
「いいえ。判断自体は正しかった。——でも、想定外のことが起きた」
「想定外?」
「魔物の増援。普通はあり得ないタイミングで、大量の魔物が現れた。退路を断たれた」
リンの声が震えた。
「撤退判断が遅れた。私が『まだ行ける』と判断してしまった。あと少しで抜けられると思った」
「でも、抜けられなかった」
「ええ」
レナが黙った。
そして、聞いた。
「それで、どうすればよかったの」
リンは答えられなかった。
「……わからない」
「わからない?」
レナの声が硬くなった。
「三年経っても?」
「何度考えても、正解がわからない」
リンは顔を上げた。
「あの時、右のルートを選ばなければ? でも、左も中央も危険だった。撤退していれば? でも、依頼は失敗になる。依頼を断っていれば? でも、他のパーティがあの依頼を受けていたら——」
リンの声が震えた。
「どこで何を変えても、誰かが死んでいたかもしれない。私じゃなくても、誰かが判断を間違えたかもしれない」
「——」
「だから私は、正解がわからない。三年経っても。今も」
沈黙が流れた。
レナの目が揺れた。
そして——爆発した。
「兄は死んだのよ!」
レナが叫んだ。
声が部屋に響く。
「あなたの『わからない』で、兄は死んだの!」
リンは何も言えなかった。
「正解がわからない? だから何? 兄は帰ってこないのよ!」
レナの目から涙が溢れた。
「謝って済む話じゃない! 『わからない』で済む話じゃない!」
「……わかってる」
「わかってない!」
レナが立ち上がった。
「あなたは生きてる! 兄は死んだ! あなただけ生き残って、のうのうと——」
「——やめて」
ミオの声が割って入った。
ミオがリンの前に立つ。リンを守るように。
「リンを責めないで」
「あなたには関係ない!」
レナが叫んだ。
「これは私と、この女の——」
「関係ある」
ミオの声が硬かった。
「リンはミオの大事な人。リンを傷つける人は——ミオが許さない」
レナが息を呑んだ。
「あなた——」
「ミオ」
リンがミオの手を引いた。
「いいの」
「でも——」
「いいの」
リンは立ち上がった。レナと向かい合う。
「責められるのは当然よ」
リンの声が静かだった。
「私のせいでマルコは死んだ。それは事実」
「——」
「謝っても許されない。何をしても取り戻せない。私にはわかってる」
リンは深く息を吸った。
「でも——私は生きている」
レナが目を見開いた。
「マルコが守ったから。彼が死んでくれたから」
リンの目から涙がこぼれた。
「それを無駄にしたくない。だから私は生きてる。それだけ」
部屋が静まり返った。
レナが黙っている。涙を流しながら。
リンも泣いている。静かに。
ミオがリンの手を握っている。離さない。
長い沈黙の後、レナは立ち上がった。
「……また来る」
声がかすれていた。
「まだ終わってない」
レナが扉に向かう。
振り返らずに言った。
「あなたの言葉だけじゃ、納得できない」
「……わかってる」
「でも——」
レナが止まった。
「今日は、帰る」
扉が開く。閉まる。
足音が遠ざかっていく。
二人きりになった。
リンは崩れるようにベッドに座った。
体が震えている。
「リン……」
ミオがリンの隣に座った。手を握る。
「大丈夫?」
「……大丈夫じゃない」
リンの声がかすれていた。
「疲れた。すごく」
「うん」
「でも——逃げられない」
リンは目を閉じた。
「マルコの妹だもの。彼女には、責める権利がある」
「リン……」
「私が殺したのと同じだから」
「違う」
ミオの声が強かった。
「リンは殺してない」
「でも——」
「違う」
ミオがリンを抱きしめた。
「リンは悪くない。何回でも言う。リンは悪くない」
リンは何も言えなかった。
涙が出ない。もう枯れたのかもしれない。
でも、心の中で何かが軋んでいる。
——このまま、持つだろうか。
レナはまた来る。また責められる。また過去を掘り返される。
いつまで耐えられるだろう。
「リン」
ミオの声が耳元で聞こえた。
「ミオがいるよ。ずっと」
「……うん」
「一人じゃないよ」
「……うん」
リンはミオにしがみついた。
ミオの温もりだけが、今のリンを支えていた。
でも——
心の奥で、何かが崩れ始めていた。
*第23話 完*