影が形を持った。

黒いローブの男。フードが深く、顔は見えない。でも存在感がある。周囲の空気が重い。

リンの首筋がざわついた。魔力感知が警告している。この男は強い。今までの相手とは比べ物にならない。

ミオが剣を握る手に力を込めた。でも体が震えている。

「やはりここにいたか」

男の声が響いた。低い。感情がない。

ミオの体が固まった。

リンがそれに気づく。ミオの呼吸が止まっている。

「ミオ?」

リンがミオの名前を呼んだ。でもミオは答えない。

男が一歩前に出た。

「久しぶりだな、ミオ。逃げるとは思わなかったぞ」

ミオの顔から血の気が引いた。琥珀色の瞳が揺れる。

「あ……」

声にならない声。

リンは理解した。この男が、ミオを支配していた張本人。

「よく育った。その身体能力、無駄にはしていなかったようだな」

男がミオを見た。品定めするように。

「だが、勘違いをしている」

男の声が冷たくなった。

「お前は商品だ。自分で考えるな。言われた通りにしろ」

ミオの体が震えた。剣を持つ手が震える。

リンがミオの異変に気づく。ミオの顔が幼く見える。まるで子供に戻ったみたいに。

「そう、その顔だ」

男が満足そうに頷いた。

「ほら、わかるだろう。お前はそうやって育てられた。従順に。何も考えず。言われた通りに動く、いい子だ」

ミオの剣が下がった。

リンの心臓が強く打った。恐怖じゃない。怒り。

「ミオ!」

リンがミオの名前を呼んだ。でもミオは反応しない。瞳が虚ろになっている。

「お前の隣にいる黒髪の女も、結局は同じだ。お前に指示を出す。お前は従う。何も変わっていない」

男の言葉がミオに刺さる。

リンの体が動いた。

ミオの前に出る。

小さな体で、男と対峙する。

「ミオは私のものよ。渡さない」

リンの声が響いた。震えていない。

男が笑った。声のない笑い。

「所有権を主張するのか? 面白い」

「違う」

リンは男を睨んだ。

「ミオは私のパートナー。商品じゃない」

男が首を傾げた。

「お前たちは共依存だ。依存しなければ生きられない。それが対等な関係だと思うのか」

「知ったことじゃない」

リンは魔力を集めた。手が震える。でも握る。

「ミオがいなければ、私は動けない。私がいなければ、ミオは考えられない。それでも、私たちは選んだ」

リンの声が強くなった。

「ミオは、私を選んだ。私も、ミオを選んだ。それだけで十分」

男が黙った。

リンの後ろで、何かが動いた。

ミオが顔を上げた。

琥珀色の瞳に光が戻る。

「……リン」

小さな声。でも確かに、ミオの声。

「ミオ」

リンが振り返った。

ミオがリンを見ている。震えている。でも、見ている。

「ミオは……」

ミオの声が震えた。

「ミオは、リンといる」

男が舌打ちした。

「何?」

「それだけは、ミオが決めた」

ミオが剣を握り直した。刃が光る。

「孤児院で、言われた通りにしてた。考えちゃいけないって。従わないと、罰があるって」

ミオの声が少しずつ強くなる。

「でも、リンと会って、変わった」

ミオがリンの隣に立った。並ぶ。

「リンが、ミオに教えてくれた。自分で決めていいって」

「戯言だ」

男が一歩前に出た。魔力が膨れ上がる。

「お前は商品だ。自我など必要ない。戻れ」

「やだ」

ミオが首を振った。

「ミオは、リンといる。それだけは変わらない」

男の魔力が爆発した。

リンが魔力感知で捉える。攻撃が来る。

「ミオ、右に!」

ミオが右に跳んだ。床が砕ける。魔力の塊が地面をえぐる。

リンは魔法弾を放った。小さい。でも男の動きを止める。

「ミオ、前!」

「うん!」

ミオが男に斬りかかる。

男が腕を上げた。ローブの下から黒い盾が現れる。ミオの剣が弾かれる。

衝撃でミオが後ろに飛ばされる。

「ミオ!」

リンが魔法弾を連射した。男の周囲に着弾する。爆発。

煙が晴れる。男は無傷。

「小賢しい」

男が魔力を集めた。リンに向けて。

リンの体が固まる。避けられない。速い。

その時、ミオが間に入った。

盾の構え。剣を横に持って、魔力を受け止める。

衝撃。ミオの体が吹き飛ぶ。

「ミオ!」

リンが駆け寄る。ミオが壁に叩きつけられる。

「——っ」

ミオが呻いた。腕が痺れている。剣を落とす。

「ミオ、大丈夫?」

リンがミオに触れた。ミオの腕に切り傷。血が滲む。

「平気。まだ動ける」

ミオが剣を拾った。握る。でも手が震える。

「お前たちは限界だ」

男が近づいてくる。ゆっくりと。

「身体も、魔力も、既に尽きかけている」

リンの視界がぼやけた。魔力が枯渇している。頭が重い。

ミオの呼吸が荒い。肩で息をする。傷が増えている。

「諦めろ。ミオを渡せば、お前は見逃してやる」

リンは立ち上がった。

「断る」

リンは魔力を集めた。ほとんど残っていない。でも絞り出す。

「ミオは私のパートナー。渡すくらいなら、死ぬ」

「リン……」

ミオがリンを見た。涙が滲んでいる。

「リン、逃げて。ミオが時間稼ぐから」

「何を言ってるの」

リンはミオの手を握った。冷たい。でも握り返してくる。

「一緒に戦う。一緒に勝つ。一緒に帰る」

「……うん」

ミオが頷いた。

二人は並んで立った。

傷だらけで。魔力も体力も尽きかけて。それでも、一緒。

「愚かだな」

男が魔力を集めた。今までで最大の魔力。空気が震える。

リンは魔力感知で男の魔力の流れを見た。中心がある。そこを狙えば——。

「ミオ、聞いて」

リンがミオに耳打ちした。

「あの男の魔力、中心がある。胸の辺り。そこを狙って」

「でも、届かない」

「私が隙を作る。その瞬間だけ、全力で」

「……わかった」

ミオが剣を握り直した。

リンは最後の魔力を集めた。手が震える。視界がぼやける。でも集中する。

男が魔力を解放した。

巨大な魔力の塊が二人に向かってくる。

リンは魔法弾を放った。男の魔力に向けて。

ぶつかる。

爆発。

リンの魔力が砕ける。でも男の魔力の軌道がずれる。

隙。

一瞬だけ、男の胸元が無防備になる。

「今!」

リンが叫んだ。

ミオが走った。

全速力。痛みを無視して。限界を超えて。

剣を振りかぶる。

男が気づく。魔力を戻そうとする。間に合わない。

ミオの剣が男の胸を貫いた。

男の体が止まる。

魔力が霧散する。

「——っ」

男が膝をついた。

ミオが剣を引き抜く。血が飛ぶ。

男が倒れた。

静寂。

リンの膝が折れそうになる。でも踏ん張る。

ミオも剣を支えにして立っている。全身が震えている。

「……勝った?」

ミオの声が小さい。

「ええ」

リンがミオに駆け寄った。ミオの体を支える。

「勝ったわ」

男が口を開いた。

「——お前は不良品だ」

最期の言葉。

ミオが男を見下ろした。

「知ってる」

ミオの声が穏やかだった。

「でも、リンがいい子って言ってくれた」

男の体が動かなくなった。

戦いは終わった。

ミオがリンを見た。

「リン、勝った」

「……ええ。よくやった」

リンはミオを抱きしめた。ミオも抱き返す。

二人とも震えている。でも温かい。

「もう、大丈夫」

リンがミオの髪を撫でた。

「もう誰も、ミオを連れて行かせない」

「うん」

ミオの声が涙で震えた。

「リン、ありがとう」

「……こちらこそ」

リンの目頭が熱くなる。涙が頬を伝う。

「ミオがいてくれて、よかった」

二人は抱き合ったまま、しばらくそうしていた。

傷だらけで。魔力も体力も尽きて。それでも、生きている。

一緒に、生きている。

ミオが顔を上げた。

「リン、帰ろう」

「……ええ」

リンが頷いた。

「帰りましょう」

二人は支え合いながら、ダンジョンの出口に向かって歩き出した。

戦いは終わった。

でも、二人の物語は続く。

一緒に。

ずっと一緒に。