リンは広い空間の中央に立っていた。
魔力感知が示している。あの気配は、間違いない。
心臓が喉まで上がってきたような圧迫感。でも恐怖じゃない。期待。リンの足が勝手に動き出す。松明の光が揺れる。
「ミオ?」
声が空間に響いた。
その時、別の通路から影が飛び出してきた。
銀髪が松明の光を反射する。琥珀色の瞳がリンを見つける。
「リン!」
ミオだ。
リンの視界が滲んだ。涙が出そうになる。こらえようとしても、目頭が熱い。
「ミオ!」
二人が走った。
リンは松明を投げ捨てた。ミオも同じように松明を捨てた。
暗闇の中、互いの姿だけが見える。
ぶつかる。
抱き合う。
リンの小さな体をミオの腕が包み込む。ミオの銀髪がリンの顔にかかる。柔らかい。
温かい。
生きてる。
ミオが生きてる。
「リン、リン……」
ミオの声が震えている。リンの髪に顔を埋めて、何度も名前を呼ぶ。
「ミオ」
リンはミオの背中に手を回した。細いけど筋肉質な背中。汗で濡れている。服が破れている。傷がある。
でも生きてる。
「よかった。本当に、よかった……」
リンの声が震えた。涙が頬を伝う。止められない。
ミオの心臓の音が聞こえる。速い。リンの心臓も速い。二つの鼓動が重なって、耳の中でうるさい。
「リン、あったかい」
ミオがリンを強く抱きしめた。痛いくらいに強い。でもリンは離れたくない。
「ミオも」
リンはミオの背中に顔を埋めた。ミオの匂い。汗と、血と、それでもミオの匂い。
肩から力が抜ける。自分で張り詰めていたことに気づく。全身が震えている。止まらない。でも怖くない。
ミオも震えている。
二人とも震えながら、抱き合っている。
しばらくそうしていた。
リンが先に顔を上げた。ミオの顔を見る。
傷だらけだ。
頬に切り傷。額に打撲の跡。唇が切れている。血が滲んでいる。
「ミオ、傷……」
「大丈夫。痛くない」
ミオが笑った。でも目が潤んでいる。
「嘘。絶対痛いでしょ」
リンはミオの頬に手を伸ばした。傷に触れる。ミオが少しだけ顔をしかめる。
「やっぱり痛いじゃない」
「ううん。リンに触られたら、痛くない」
ミオがまた笑った。今度は本当に嬉しそうに。
リンの胸が締め付けられた。涙がまた出そうになる。
「リンも、傷ある」
ミオがリンの腕を見た。切り傷が走っている。ローブの袖が破れている。
「ちょっとだけ」
「ちょっとじゃない」
ミオがリンの腕を優しく触った。血が滲んでいる傷を、指先でそっとなぞる。
「リン、一人で戦ったの?」
「……ええ」
「すごい。リン、動けたんだ」
ミオの声が明るくなった。嬉しそうに、誇らしげに。
「ミオだって。一人で戦ったんでしょ」
「うん。ミオも、自分で考えられた」
ミオが頷いた。
「リンがいなくても、できた。……でも」
ミオの声が小さくなった。
「でも?」
「でも、こわかった」
ミオがリンをまた抱きしめた。
「リンがいないの、すごくこわかった」
「……私も」
リンはミオの背中に手を回した。
「ミオがいないと、何度も過去を思い出した。またあの時みたいに、失敗するんじゃないかって」
「でも、リン、一人で動けた」
「ええ。動けた。……初めて」
リンは深く息を吐いた。肺の奥まで空気が入っていく。
「でも、やっぱり一緒がいい」
「うん。ミオも」
ミオがリンの髪を撫でた。銀色の髪が黒い髪に混ざる。
「もう離れない」
「絶対に」
二人は抱き合ったまま、しばらくそうしていた。
その時、遠くから音が聞こえた。
リンが顔を上げた。魔力感知を使う。
気配。
複数。
近づいてくる。
「来る」
リンの声が低くなった。
ミオもリンから離れた。剣を拾う。構える。
「敵?」
「ええ。複数。まだ追ってきてる」
リンは地面に落ちている松明を拾った。光が二人を照らす。
通路の一つから、人影が現れた。
ローブを着た三人。
聖カタリナ院の人間だ。
一人が口を開いた。
「まだ抵抗するのか」
冷たい声。感情がない声。
リンは魔力を集めた。でも手が震える。魔力が尽きかけている。小さな魔法弾しか作れない。
「抵抗するわ。ミオは渡さない」
ミオがリンの前に立った。剣を構える。
「リンを守る。それだけは、ミオが決めたこと」
敵の一人が舌打ちした。
「不良品が。いい加減にしろ」
三人が同時に動いた。
リンは魔力感知で敵の位置を把握した。左から二人、右から一人。
「ミオ、左に二人。まず右から」
「うん!」
ミオが右に走った。右の敵に向かう。
リンは左の敵二人に魔法弾を放った。小さい。でも牽制にはなる。
敵が後ろに下がる。
その隙にミオが右の敵を斬った。敵が倒れる。
「次!」
リンの指示が飛ぶ。
ミオが左に向き直った。残り二人。
「ミオ、前に出すぎないで。私が魔法で動きを止める」
「わかった!」
リンは魔法弾を放った。左の敵の足元に当たる。爆発。敵がバランスを崩す。
ミオが斬りかかる。敵が剣で受ける。
でもミオが押す。力で押し切る。
敵の剣が弾かれる。
ミオが斬る。敵が倒れる。
残り一人。
最後の敵が後ろに下がった。逃げようとする。
「ミオ、行かせないで」
「うん!」
ミオが追いかける。
敵が振り返って短剣を投げた。
リンが見た。軌道を予測する。
「ミオ、右に躱して!」
ミオが右に跳んだ。短剣が空を切る。
ミオが敵に追いつく。斬る。
敵が倒れた。
静寂。
ミオが呼吸を整えた。肩で息をする。全身が震えている。
リンもミオに駆け寄った。
「大丈夫?」
「うん。大丈夫」
ミオが笑った。でも顔色が悪い。傷が増えている。
「新しい傷……」
「ちょっとだけ。リンは?」
「私は無事」
リンはミオの腕を見た。浅い切り傷。血が滲んでいる。
「治療しないと」
「あとで。今は……」
ミオがリンを見た。
「今は?」
「リンといたい」
ミオがリンに抱きついた。
リンは少し驚いたけど、抱き返した。
「……そうね。私も」
二人は抱き合ったまま、しばらくそうしていた。
リンの頭の中で、さっきの戦闘が再生される。
前と違う。
リンが自分で動いた。魔法を撃った。ミオに指示を出した。
ミオも自分で判断した。躱すタイミング。斬るタイミング。
離れていた経験が活きている。
でも、やっぱり「二人で」が最強だ。
リンが考える。ミオが動く。
それが一番強い。
それが一番、安心する。
「リン」
ミオがリンの名前を呼んだ。
「何?」
「ミオ、変わったかな」
「……ええ。変わった」
「リンも?」
「私も。……少しだけ」
リンはミオの背中を撫でた。
「でも、変わらないこともある」
「うん。ミオもわかる」
ミオがリンを強く抱きしめた。
「リンがいないと、だめ」
「……私も」
リンは目を閉じた。ミオの温かさが伝わってくる。心臓の音が聞こえる。
「もう離れたくない」
「うん。絶対に」
二人は抱き合ったまま、しばらくそうしていた。
その時、遠くから音が聞こえた。
重い音。
規則的な音。
足音。
でも、人間のじゃない。
リンが顔を上げた。魔力感知を使う。
強い魔力。
とても強い。
今までとは比べ物にならない。
「——来る」
リンの声が震えた。
「敵?」
「ええ。でも、今までとは違う」
リンはミオから離れた。松明を拾う。
「本体よ」
ミオが剣を握り直した。
「本体?」
「聖カタリナ院の、ボス」
リンは前を向いた。
通路の奥から、巨大な影が現れた。
人間じゃない。
魔物でもない。
何か、別のもの。
リンの心臓が強く打った。恐怖が背中を這い上がる。
でも、止まれない。
ミオがいる。
今度は、一緒だ。
「ミオ」
「うん」
ミオがリンの隣に立った。剣を構える。
「一緒に」
「うん。二人なら、大丈夫」
リンは魔力を集めた。手が震える。でも握る。
ミオも剣を握り直した。震えが止まらない。でも構える。
二人は並んで立った。
傷だらけで。
震えながら。
それでも、一緒。
影が近づいてくる。
足音が響く。
リンとミオは、前を向いた。
まだ終わりじゃない。
でも、二人なら。
二人なら、きっと。