ミオは暗い通路を進んでいた。
足が重い。一歩ごとに膝が笑う。傷だらけの体が悲鳴を上げている。肩の爪痕がヒリヒリと焼けるように痛む。腕の切り傷から血が滲んでいる。熱い。痛みが遅れてやってくる。
でも止まらない。
リンを探さないと。
ミオは松明を掲げた。光が狭い通路を照らす。湿った石壁。かび臭い匂い。どこまでも続く闇。
リンがいない。
胸が締め付けられる。呼吸が浅い。肺が縮んだみたいに、うまく空気が吸えない。
でも、止まらない。
リンを守る。それだけは、ミオが決めたこと。
ミオは前を向いて歩き続けた。
その時、前方から気配を感じた。
ミオは立ち止まった。剣を構える。手が震える。でも握る。
松明の光が、何かを照らした。
人だ。
二人。
ローブを着ている。顔は影になっている。でもミオは知っている。この雰囲気を。この冷たい空気を。
聖カタリナ院の人間だ。
ミオの心臓が跳ねた。全身に冷たいものが流れる。指先の感覚がなくなる。
ローブの一人が口を開いた。
「見つけた。おとなしく来い」
冷たい声。感情がない声。
ミオは昔聞いた声を思い出した。孤児院の管理者の声。「考えるな」「言われた通りにしろ」。あの声。
ミオの足が竦んだ。体が動かない。
従わないと。
逆らったら、罰が。
でも、リンを守らないと。
ミオは剣を握り直した。震えが止まらない。でも握る。
「……やだ」
小さな声が出た。自分の声だと気づくのに、少し遅れた。
ローブの男が一歩踏み出した。
「まだ逆らうのか。いい加減にしろ。お前は商品だ。自分で考えるな」
その言葉が、ミオの中で何かを燃やした。
ミオは剣を構え直した。足を開く。重心を落とす。リンが教えてくれた構え。
「やだ」
今度は、はっきりと言えた。
ローブの男が舌打ちする。もう一人に合図を送る。
二人が同時に動いた。
ミオは剣を握ったまま、後ろに跳んだ。距離を取る。
リンなら、どうする。
リンなら、まず敵の動きを見る。数を確認する。位置を把握する。
ミオは松明を壁に立てかけた。両手で剣を握る。
一人が右から来る。もう一人が左から。
挟まれる。
リンなら、何て言う。
ミオの頭の中で、リンの声が響いた。
「挟まれたら、まず片方を潰す。二人同時に相手にしない」
ミオは右に動いた。右の敵だけに向き合う。
敵が短剣を振る。ミオは剣で受ける。金属がぶつかる音。腕に衝撃が走る。
ミオは剣を押し返した。敵がバランスを崩す。
その隙に斬る。
敵の腕を斬った。浅い。でも血が出る。
敵が後ろに下がる。
ミオは左を見た。もう一人が迫ってくる。
距離が近い。
ミオは横に跳んだ。敵の短剣が空を切る。
ミオは剣を振った。敵の脚を狙う。
当たった。敵が倒れる。
ミオは呼吸を整えた。心臓がうるさい。全身が震えている。
右の敵がまた来る。
ミオは剣を構えた。
敵が突いてくる。ミオは横に躱す。
リンの声が頭の中で響く。
「突いてきたら、躱して懐に入る。剣が長い方が有利」
ミオは前に踏み込んだ。敵の懐に入る。
剣を振る。
敵の胸を斬った。深い。
敵が倒れた。動かない。
ミオは呼吸を整えた。肩で息をする。汗が背中を伝う。服が肌に張り付いて不快。
もう一人が立ち上がろうとしている。
ミオは剣を向けた。
「……来ないで」
敵がミオを睨んだ。でもそれ以上近づいてこない。脚の傷が深い。立てない。
ミオは剣を握ったまま、後ろに下がった。松明を拾う。
倒した。
ミオが、一人で。
リンがいなくても、倒せた。
でも体が震える。止まらない。
リンの声が欲しい。リンの指示が欲しい。リンの存在が欲しい。
でも、リンがいない。
ミオは前を向いた。通路が続いている。
リンを探さないと。
ミオは歩き出した。
*
リンは壁に背中をつけて立っていた。
呼吸が浅い。魔力を使いすぎた。頭がぼんやりする。視界がぼやける。
でも止まれない。
ミオを探さないと。
リンは松明を掲げた。光が通路を照らす。
その時、前方から声が聞こえた。
「——あそこだ」
リンは立ち止まった。魔力を集中する。でも手が震える。魔力が集まらない。
人影が現れた。三人。
ローブを着ている。顔は見えない。でも敵意が伝わってくる。
一人が口を開いた。
「あの子はどこだ」
ミオのことだ。
リンは魔力を絞り出した。手のひらに小さな光が集まる。魔法弾。小さい。でも撃てる。
「知らない」
リンの声が冷たく響いた。
「——というか、教えると思う?」
敵の一人が舌打ちした。
「邪魔をするな。我々はあの子を回収しに来ただけだ」
「回収?」
リンの声が低くなった。
「ミオは商品じゃない。あなたたちのものでもない」
「黙れ。お前に関係ない」
敵が一歩踏み出した。
リンは魔法弾を放った。
光が走る。敵の足元に当たる。爆発。石床が砕ける。
敵が後ろに下がった。
「——まだやるのか」
「やるわよ」
リンは次の魔法弾を作った。でも手が震える。魔力が足りない。小さい。
でも、やるしかない。
敵が三人同時に動いた。
リンは魔法弾を放った。一人に当たる。倒れる。
でも残り二人が来る。
リンは後ろに跳んだ。距離を取る。
いつもならミオが前衛を担当する。リンは後ろで指示を出す。魔法で牽制する。
でも今、ミオがいない。
リンが自分で動かないと。
リンは魔力を感じ取った。左から来る敵の気配。右から来る敵の気配。
挟まれる。
動け。
動け、動け、動け。
リンは左に走った。魔法弾を放つ。左の敵に当たる。
でも右の敵が迫ってくる。
リンは振り返った。魔法弾を作る。でも間に合わない。
敵の短剣が迫る。
リンは横に転がった。短剣が空を切る。
リンは立ち上がった。足がふらつく。でも踏ん張る。
魔法弾を作る。小さい。でも撃つ。
敵の胸に当たる。爆発。敵が倒れる。
リンは呼吸を整えた。心臓がうるさい。全身が震えている。
魔力が尽きかけている。もう限界。
でも、倒せた。
一人で、倒せた。
ミオがいなくても、倒せた。
リンは前を向いた。通路が続いている。
ミオを探さないと。
リンは歩き出した。
*
ミオは暗い通路を進んでいた。
傷が増えている。頬に切り傷。足に打撲。鈍い痛みが、脈打つように内側から押し広がる。
でも止まらない。
リンを探さないと。
ミオは松明を掲げた。光が闇を照らす。
通路が続く。曲がる。また続く。
どこまで行けばいいのかわからない。でも進む。
その時、何かを感じた。
気配。
ミオは立ち止まった。周囲を見る。
でも何も見えない。
でも、何かある。
近い。
ミオの胸がざわついた。心臓が早く打つ。
リン?
ミオは前を向いた。気配がする方向。
そっちだ。
ミオは歩き出した。足を速める。走る。
傷が痛む。でも構わない。
リンがいる。
きっといる。
ミオは走り続けた。
*
リンは通路を進んでいた。
魔力が尽きかけている。視界がぼやける。足が重い。
でも止まらない。
ミオを探さないと。
リンは魔力感知を使った。微かに魔力を放出する。周囲を探る。
その時、何かを感じた。
気配。
魔物じゃない。
人の気配。
リンの心臓が跳ねた。
ミオ?
リンは前を向いた。気配がする方向。
そっちだ。
リンは歩き出した。足を速める。走る。
魔力が尽きても構わない。
ミオがいる。
きっといる。
リンは走り続けた。
*
ミオは広い空間に出た。
天井が高い。壁に古い彫刻が刻まれている。
通路が複数ある。
ミオは立ち止まった。松明を掲げる。光が広がる。
気配が近い。
とても近い。
ミオの呼吸が浅くなった。心臓が喉まで上がってきたような圧迫感。
でも恐怖じゃない。
期待。
ミオは声を出した。
「……リン?」
声が空間に響く。
返事はない。
でも、気配がする。
近い。
ミオは前を向いた。
*
リンは広い空間に出た。
天井が高い。壁に古い彫刻が刻まれている。
通路が複数ある。
リンは立ち止まった。魔力感知を使う。微かな魔力。
気配が近い。
とても近い。
リンの心臓が強く打った。涙が出そうになる。こらえようとしても、目頭が熱い。
リンは声を出した。
「……ミオ?」
声が空間に響く。
返事はない。
でも、気配がする。
近い。
リンは前を向いた。
まだ姿は見えない。
でも、近い。
ついに、会える。
リンは歩き出した。
ミオも、歩き出した。
二人は、同じ方向に向かっている。
暗闇の中、それぞれが相手を探して。
震えながら。
傷だらけで。
それでも、止まらずに。
二人は、近づいていく。