1

その日、リンは一人だった。

ヴェルナーに呼び出された。報告書の確認。書類仕事。半日かかると言われた。

「ミオは連れてくるな。お前一人で来い」

そう言われて、仕方なく。

「リン、行っちゃうの?」

朝、宿の前で。ミオが不安そうな顔をしていた。

「半日で終わる。夕方には戻るから」

「……うん」

「一人で大丈夫?」

「大丈夫。ミオ、待ってる」

ミオは笑った。でも、目が笑っていなかった。

リンはギルドに向かった。振り返らなかった。

振り返ったら、戻ってしまいそうだったから。


2

ギルドの執務室。

書類の山。報告書の確認。誤字脱字のチェック。単純作業。

リンは黙々とこなした。

でも、集中できない。

ミオは何してるかな。

ペンが止まる。

——違う。仕事に集中しろ。

書類をめくる。数字を確認する。計算を照合する。

ミオ、ちゃんとご飯食べてるかな。

また止まる。

リンは、左手で右腕を掴んだ。爪が食い込む。痛みで、意識を引き戻す。

「……集中しろ」

自分に言い聞かせる。

半日。たった半日。それだけ離れるだけ。

なのに、落ち着かない。何をしていいかわからない。手持ち無沙汰。胸がざわつく。

——これは、なんだ。

リンは息を吐いた。

手が、かすかに震えていた。


3

同じ頃。

ミオは宿の部屋にいた。

一人。

「……」

何をすればいいかわからない。

リンがいない。指示がない。

とりあえず座る。ベッドの端に。

リンの匂いがする。枕から。シーツから。

「リン……」

名前を呼んでみる。返事はない。当たり前。

立ち上がる。部屋を歩く。窓を見る。外を見る。

何も見えない。何も考えられない。

また座る。

手が震えている。なんで? 怪我してない。戦闘してない。なのに震えてる。

呼吸が浅い。肺が縮んだみたいに、うまく吸えない。

「……リン」

また名前を呼ぶ。

リンがいない。リンがいないと、何をすればいいかわからない。

孤児院の時と同じ。誰も指示してくれない。暗い部屋に閉じ込められた時と同じ。

「やだ……」

ミオは膝を抱えた。

「リン、早く帰ってきて……」


4

昼過ぎ。

リンは書類仕事を終えた。予定より早い。

「もういいわ。帰る」

「まだ確認が——」

「残りは明日やる」

リンは立ち上がった。

落ち着かない。ミオのことが気になる。早く戻りたい。

——何を焦ってる。

自分でもわからない。でも、足が勝手に動く。

ギルドを出る。宿に向かう。歩く速度が、いつもより速い。

走りたい。でも、走るほどじゃない。たかが半日離れただけ。

なのに——

胸が締め付けられる。息が苦しい。手汗が出ている。

宿に着く。階段を上がる。部屋の扉。

ノックする。

返事がない。

「ミオ?」

扉を開ける。

ミオがいた。ベッドの上。膝を抱えて、丸まっている。

「ミオ」

「——リン?」

ミオが顔を上げた。

目が赤い。泣いていた。

「リン……!」

ミオが飛びついてきた。リンを抱きしめる。大きな体が、小さなリンに覆いかぶさる。

「リン、リン、リン……」

「ど、どうしたの」

「帰ってきた。リン、帰ってきた」

「当たり前でしょ。半日って言ったじゃない」

「こわかった。一人、こわかった」

ミオが震えている。全身で。

リンは、ミオの背中に手を回した。

「……大丈夫。帰ってきたから」

「もう離れないで。お願い」

「——」

リンは何も言えなかった。

ミオの体温が伝わってくる。高い。でも、手は冷たい。震えている。

——これは、何だ。

半日離れただけで、この子はこうなる。

そして——私も、同じだった。

落ち着かなかった。集中できなかった。手が震えた。早く戻りたかった。

「……ミオ」

「うん」

「私も、落ち着かなかった」

「……本当?」

「本当」

ミオが顔を上げた。涙で濡れた目。

「リンも、ミオがいないと落ち着かない?」

「——多分」

「じゃあ、一緒」

「……一緒ね」

ミオが笑った。泣きながら。

リンは、ミオの頭を撫でた。銀髪が指の間をすり抜ける。

「もう大丈夫。一緒にいるから」

「うん。ずっと一緒がいい」

「……ええ」

リンは目を閉じた。

——これは、依存だ。

わかってる。わかってて、止められない。

この子がいないと、私は壊れる。

この子も、私がいないと壊れる。

それが——どういう意味なのか。

今は、考えないことにした。


*第06話 了*