1

3回目のダンジョン。

リンとミオは、もう浅層では物足りなくなっていた。

「中層に行きたいんだけど」

ギルドの受付で、リンはエルマに言った。

エルマは目を丸くした。

「中層? ミオちゃん、まだEランクですよ?」

「私が指揮を取る。問題ないと思うけど」

「リンさんは事務員でしょう。現場復帰の申請は——」

「申請は出した。ヴェルナーに」

エルマは口をつぐんだ。

「……本当ですか」

「嘘は言わないわ」

横で、ミオがリンの裾を掴んでいる。不安そうな顔。

「リン、ちゅうそうってむずかしいの?」

「浅層より敵が強い。死亡率も上がる」

「ミオ、死んじゃう?」

「死なせない」

リンは、自分でも意外なほどはっきり言った。

「私の指示通りに動けば、死なない」

ミオの目が、ぱっと明るくなった。

「うん! リンの言う通りにする!」

エルマは、何か言いたそうな顔をしていた。でも、何も言わなかった。


2

中層6階。

空気が変わる。魔力の濃度が、浅層とは比較にならない。

かび臭さに、血の匂いが混じっている。誰かが死んだ跡。最近のものじゃない。でも、壁に残っている。

ミオが鼻を鳴らした。

「へんなにおい」

「血の匂い。——気にしないで。集中して」

「うん」

リンは目を閉じた。空間把握。

通路の構造が、頭の中に展開される。複雑。浅層より入り組んでいる。罠も多い。

「止まって」

ミオが止まる。

「三歩先、床の色が違う。罠。踏まないで」

「うん」

ミオが罠を避ける。

「右に曲がって。敵が4体。——待って」

リンの眉がひそまる。

「……予想通りじゃない部分がある。少し待って」

「うん。待つ」

ミオはその場で止まった。完全に。呼吸すら浅くして、リンの指示を待っている。

リンは、もう一度空間を把握し直した。

敵は4体。でも、1体が動いている。パターンが読めない。

——どうする。

このルートは使えない。迂回するか。でも、迂回先にも敵がいる可能性がある。

「リン?」

ミオの声。不安そう。

「——ごめん。考えてた」

「うん。リンが考えてる間、ミオは待ってる」

「……ありがとう」

リンは深呼吸した。

「左に迂回する。そっちの方が安全だと思う」

「うん!」

ミオがついてくる。

——この子は、本当に何も疑わない。

私が「左」と言えば左に行く。「右」と言えば右に行く。

それが怖い。

それが、ありがたい。


3

中層7階。

敵と遭遇した。リザードマン。3体。浅層の敵より、明らかに動きが速い。

「ミオ、右から回り込んで。私が牽制する」

「うん!」

ミオが飛び出す。

リンは魔力弾を放つ。1体の顔面に当たる。怯む。

その隙に、ミオが斬りかかる。首を落とす。

2体目が反応する。ミオに向かって——

「後ろ!」

ミオが振り返る。剣で受ける。金属音。火花が散る。

「押し返して、距離を取って!」

「——っ!」

ミオが力任せに押し返す。リザードマンがよろめく。

「今! 心臓!」

ミオの剣が、リザードマンの胸を貫く。血が噴き出す。

3体目。背後から迫っている。ミオは気づいていない。

「伏せて!」

ミオが伏せる。リンの魔力弾が、ミオの頭上を通過して、3体目の顔面に直撃する。

怯んだ隙に——

「立って、斬って!」

ミオが立ち上がり、斬る。首が飛ぶ。

「……倒した?」

「倒した」

ミオが振り返る。息が上がっている。汗が顔を伝っている。

でも、怪我はない。

「リン、すごい。全部教えてくれた」

「……あなたが動いたから」

リンの手が、震えている。

3年ぶりの、本当の戦闘指揮。浅層とは違う。中層は、本当に死ぬ場所。

——私の指示で、この子が死んだら。

また、あの時と同じになる。

「リン?」

ミオが近づいてくる。

「リン、手、震えてる」

「……大丈夫」

「大丈夫じゃない。リン、顔、白い」

ミオがリンの手を取った。大きな手が、小さな手を包む。

「リン、あったかくない。冷たい」

「……」

「ミオがあっためる」

ミオがリンの手を、両手で包んだ。息を吹きかける。

「あったかくなれ」

「……何してるの」

「あっためてる」

「そうじゃなくて——」

「リンが冷たいから。ミオ、リンがあったかい方がいい」

リンは、何も言えなかった。

——この子は。

「……もう少し、進むわよ」

「うん。リンの手、離さないでいい?」

「……いい」

「やった」

ミオが笑う。

リンの手は、まだ震えていた。


4

その夜。

リンは、一人で宿に帰った。

ミオとは、ギルドで別れた。それぞれの宿に帰る。当然のこと。

でも、何か落ち着かない。

手持ち無沙汰。何をしていいかわからない。ミオがいないと——

——違う。何を考えている。

リンは首を振った。

ベッドに入る。目を閉じる。

眠れない。

また夢を見た。

3年前。中層12階。

「大丈夫。このルートなら行ける」

自分の声。確信に満ちた声。

でも、行けなかった。

想定外の増援。退路を断たれる。一人ずつ倒れていく。

——リン、逃げろ。

マルコの声。

——お前は生きろ。

背中が裂ける。血が飛び散る。鉄の匂い。

——大丈夫だって言ったのに。

「——っ!」

リンは目を覚ました。

息が荒い。汗で服が張り付いている。心臓がうるさい。視界がぼやける。

「リン?」

隣から、声がした。

ミオがいた。同じベッドに。

「……なんで、ここに」

「リン、一人だと眠れないって言ってた。ミオも一人だと眠れないから。一緒に寝ようって」

「言った……?」

覚えていない。昨日、疲れて、そのまま——

「リン、怖い夢見た?」

「……」

「ミオも、昔、怖い夢見てた。孤児院の夢。暗い部屋に閉じ込められる夢」

ミオが、リンの手を取った。

「でも、誰かと一緒に寝ると、怖い夢見ない」

「……」

「リン、ミオと一緒に寝てるから、もう大丈夫」

リンは、何も言えなかった。

目頭が熱い。泣きそうになる。こらえようとしても、目頭が熱い。

「……ミオ」

「うん」

「私の指示通りに動いて」

「うん」

「私といると、死ぬかもしれない」

「うん」

「それでも——」

「リンの言う通りにする」

ミオは、当たり前のように言った。

「リンが『死ね』って言ったら、ミオ、死ぬ」

「……そんなこと言わない」

「じゃあ、死なない」

ミオが笑った。

「リン、あったかい。リンの匂い、好き。安心する」

「……」

「おやすみ、リン」

「……おやすみ」

ミオの呼吸が、すぐに穏やかになった。眠っている。

リンは、目を閉じなかった。

——この子は、私を信じすぎている。

私の指示が間違っていたら。私がまた、判断を誤ったら。

この子は死ぬ。

でも——。

ミオの手が、リンの手を握っている。眠っていても、離さない。

——離れないで。

そう言いたげな手。

リンは、その手を握り返した。

今夜は、もう悪夢を見なかった。


*第03話 了*