TURNING POINT — 組織の信頼崩壊
338K
Troops Evacuated
3
Days Halted
16
km to Victory
?
Who Ordered?

何が起きたか

1940年5月20日、グデーリアンの部隊は英仏海峡に到達した。連合軍は分断された。ベルギーとフランス北部に閉じ込められた英仏軍は、ダンケルクに向かって撤退を始めていた。

勝利は目前だった。ダンケルクまで残り16km。33万人の英仏軍が袋の中にいた。

そして停止命令が下された。

TIMELINE

5月20日 グデーリアン、英仏海峡到達。連合軍分断
5月21日 ダンケルクへ向けて北進開始
5月24日 停止命令。ダンケルク前面16kmで停止
5月26日 停止命令解除。前進再開
5月26日-6月4日 ダイナモ作戦。33万8千人が撤退に成功

3日間の停止。その間に英軍は防衛線を構築し、撤退を組織した。33万8千人が逃げた。

誰が命じたのか

停止命令の責任者については、今でも議論がある。

HITLER

最終決定者。停止命令を承認した

RUNDSTEDT

A軍集団司令官。停止を進言した

GÖRING

空軍による殲滅を主張した

KLUGE

第4軍司令官。側面の危険を警告

ルントシュテットは側面の危険を懸念していた。戦車隊は前進しすぎており、歩兵が追いついていない。フランス軍の反撃で側面を突かれる恐れがある、と。

ゲーリングは空軍での殲滅を主張した。「空軍だけで敵を殲滅できる。陸軍は手を出すな」と。

ヒトラーはこれらの意見を受け入れ、停止を命じた。

takawasiの視点

「誰が命じたか」は重要だ。だが、takawasiが注目するのはそこではない。

THE REAL DAMAGE

この瞬間に、組織内の信頼が崩壊した

グデーリアンは勝利を目前にして止められた。現場の判断が、後方の司令部に覆された。

グデーリアンは現場にいた。敵の状態を見ていた。「今追撃すれば殲滅できる」と分かっていた。

後方の司令部は地図を見ていた。「側面が危険だ」と報告書が言っていた。現場の状況は見えていなかった。

「報告書で戦争は分からない。現場に行け」
—— グデーリアン

何が壊れたか

  • 現場と司令部の信頼関係
    グデーリアンは「上は現場を理解していない」と確信した。以降、命令を「拡大解釈」することが増えた。
  • 成功体験の罠
    「ダンケルクで止めても勝てた」という成功体験が、次の戦争での判断を狂わせた。「止めても大丈夫」という前例ができてしまった。
  • 勝利の中の敗北の種
    33万人が逃げた。彼らは後にノルマンディーで戻ってきた。フランス戦役の「勝利」が、4年後の「敗北」を準備した。

構造的問題

ダンケルク停止命令は、個人の失敗ではなく構造の問題を露呈した。

情報の非対称性

現場の指揮官は最新の情報を持っている。後方の司令部は数時間〜数日遅れの情報しか持っていない。この情報格差が、誤った判断を生む。

責任の分散

ルントシュテットが進言し、ゲーリングが口を出し、ヒトラーが決定した。誰が責任を取るのか分からない。責任が分散すると、保守的な判断に傾く。

成功体験の呪縛

フランス戦役は「勝った」。だからダンケルクで止めたことも「問題なかった」と解釈された。成功体験は反省を妨げる。

教訓

現場を信じろ

後方で地図を見ている者より、前線で敵を見ている者の方が正しい判断ができる。現場の声を無視するな。

勝利の中の敗北を見ろ

フランス戦役は勝った。だがダンケルクで33万人を逃した。この「見逃した敗北」が、後の戦争に影響した。

組織の信頼を壊すな

現場と司令部の信頼関係が壊れると、組織は機能しなくなる。ダンケルク以降、グデーリアンと上層部の関係は悪化し続けた。

電撃戦最強。グデーリアン最強。

だが組織は、彼を止めた。