何が起きたか
1940年5月20日、グデーリアンの部隊は英仏海峡に到達した。連合軍は分断された。ベルギーとフランス北部に閉じ込められた英仏軍は、ダンケルクに向かって撤退を始めていた。
勝利は目前だった。ダンケルクまで残り16km。33万人の英仏軍が袋の中にいた。
そして停止命令が下された。
TIMELINE
3日間の停止。その間に英軍は防衛線を構築し、撤退を組織した。33万8千人が逃げた。
誰が命じたのか
停止命令の責任者については、今でも議論がある。
HITLER
最終決定者。停止命令を承認した
RUNDSTEDT
A軍集団司令官。停止を進言した
GÖRING
空軍による殲滅を主張した
KLUGE
第4軍司令官。側面の危険を警告
ルントシュテットは側面の危険を懸念していた。戦車隊は前進しすぎており、歩兵が追いついていない。フランス軍の反撃で側面を突かれる恐れがある、と。
ゲーリングは空軍での殲滅を主張した。「空軍だけで敵を殲滅できる。陸軍は手を出すな」と。
ヒトラーはこれらの意見を受け入れ、停止を命じた。
takawasiの視点
「誰が命じたか」は重要だ。だが、takawasiが注目するのはそこではない。
THE REAL DAMAGE
この瞬間に、組織内の信頼が崩壊した。
グデーリアンは勝利を目前にして止められた。現場の判断が、後方の司令部に覆された。
グデーリアンは現場にいた。敵の状態を見ていた。「今追撃すれば殲滅できる」と分かっていた。
後方の司令部は地図を見ていた。「側面が危険だ」と報告書が言っていた。現場の状況は見えていなかった。
—— グデーリアン
何が壊れたか
- 現場と司令部の信頼関係
グデーリアンは「上は現場を理解していない」と確信した。以降、命令を「拡大解釈」することが増えた。 - 成功体験の罠
「ダンケルクで止めても勝てた」という成功体験が、次の戦争での判断を狂わせた。「止めても大丈夫」という前例ができてしまった。 - 勝利の中の敗北の種
33万人が逃げた。彼らは後にノルマンディーで戻ってきた。フランス戦役の「勝利」が、4年後の「敗北」を準備した。
構造的問題
ダンケルク停止命令は、個人の失敗ではなく構造の問題を露呈した。
情報の非対称性
現場の指揮官は最新の情報を持っている。後方の司令部は数時間〜数日遅れの情報しか持っていない。この情報格差が、誤った判断を生む。
責任の分散
ルントシュテットが進言し、ゲーリングが口を出し、ヒトラーが決定した。誰が責任を取るのか分からない。責任が分散すると、保守的な判断に傾く。
成功体験の呪縛
フランス戦役は「勝った」。だからダンケルクで止めたことも「問題なかった」と解釈された。成功体験は反省を妨げる。
教訓
現場を信じろ
後方で地図を見ている者より、前線で敵を見ている者の方が正しい判断ができる。現場の声を無視するな。
勝利の中の敗北を見ろ
フランス戦役は勝った。だがダンケルクで33万人を逃した。この「見逃した敗北」が、後の戦争に影響した。
組織の信頼を壊すな
現場と司令部の信頼関係が壊れると、組織は機能しなくなる。ダンケルク以降、グデーリアンと上層部の関係は悪化し続けた。
電撃戦最強。グデーリアン最強。
だが組織は、彼を止めた。