関係の変遷

1935-1939:蜜月期

ヒトラーは装甲部隊の可能性を理解した数少ない上層部だった。グデーリアンの理論に興味を示し、装甲師団創設を支持した。グデーリアンも、自分の理論を実現させてくれる指導者としてヒトラーを評価していた。

1940:ダンケルク停止命令

フランス戦役でのダンケルク停止命令。これがグデーリアンとヒトラーの関係の転機となった。グデーリアンは追撃継続を主張したが、命令は覆らなかった。「現場を理解していない」——この不信感が芽生えた。

1941:1回目の解任

モスクワ戦での後退命令。ヒトラーの「死守命令」に反してグデーリアンは独断で後退を命じた。12月26日、解任。「兵士を凍死させるわけにはいかなかった」——これがグデーリアンの弁明だった。

1943-1944:装甲兵総監

1年半の休養後、装甲兵総監として復帰。ヒトラーはグデーリアンの能力を必要とした。だが関係は冷却したまま。グデーリアンは戦術的な権限を持ったが、戦略決定には関与できなかった。

1944-1945:参謀総長として最終決裂

1944年7月、暗殺未遂事件後に参謀総長に任命。だが毎日の会議でヒトラーと衝突。東部戦線の戦略について激しく対立した。1945年3月、病気療養を理由に事実上の2回目の解任。

対立の本質

グデーリアンとヒトラーの対立は、個人的な確執ではなかった。

これは現場指揮官と最高司令部の構造的な衝突だった。

「地図で戦争はできない。現場にいない者が現場を判断するな」

グデーリアンは現場を知っていた。泥濘の道路も、凍えた兵士も、故障した戦車も。ヒトラーは地図上の矢印しか知らなかった。

この情報ギャップが、必然的に対立を生んだ。どんなに有能な現場指揮官でも、現場を知らない最高司令官との衝突は避けられなかった。

ヒトラーの評価

皮肉なことに、ヒトラーはグデーリアンの能力を最後まで評価していた。だからこそ二度も復帰させた。

だがグデーリアンの「正しいことを言う」態度は、ヒトラーの「イエスマン」を求める傾向と相容れなかった。

TAKAWASI VERDICT

グデーリアンは正しかった。だが正しいことは組織内で生き残ることとは別だ。

電撃戦最強。グデーリアン最強。

正しさは報われない。前進あるのみ。