朝の光が窓から差し込んでいた。
リンは目を覚ました。隣にミオがいる。いつもの朝。
でも、今日は少し違った。
体が軽い。心が軽い。世界が明るく見える。
——起きよう。
リンは体を起こそうとした。ミオの腕がリンの腰に回っている。
そっと外そうとした瞬間——手が震えた。
——まだ、か。
許されても、楽になっても。これだけは変わらない。
ミオから離れようとすると、体が勝手に震える。本能が拒絶する。
——依存は、治ってない。
リンは苦笑した。
——でも、いい。今は、これでいい。
——許された。
その実感が、まだ胸の中にあった。
レナに許された。マルコに許された。そして——自分自身を許せた。
三年間、背負ってきた重さ。
消えたわけじゃない。でも、軽くなった。
「リン……?」
ミオが目を覚ました。琥珀色の瞳がリンを見つめる。
「おはよう」
「おはよ」
ミオが身体を起こした。
「今日、何する?」
「ダンジョン。——深層に行きましょう」
「うん!」
ミオが嬉しそうに笑った。
ギルドで依頼を受け取った。
深層十八層。難易度の高い討伐依頼。
以前のリンなら、躊躇していたかもしれない。「また失敗したらどうしよう」と。
でも今は違う。
「失敗するかもしれない」——それは変わらない。
でも、「だから動かない」は、もうやめた。
「行きましょう」
リンが言った。ミオが頷いた。
深層十八層。
暗いダンジョンの中を進む。かび臭い匂い。湿気。足音が反響する。
リンは魔力を感知していた。周囲の魔物の気配。位置。強さ。
「前方、五体。強い」
「うん」
「まず二体を牽制する。私の合図で突入」
「わかった」
リンは杖を構えた。魔力を集中させる。
——私の判断。
三年前と同じ。
でも、今は違う。
「失敗したら」じゃない。「成功させる」ために動く。
「——今」
リンが魔法を放った。閃光。二体の魔物が怯む。
ミオが駆け出した。銀色の剣が閃く。
一体目。斬撃。崩れ落ちる。
二体目。回転。斬り上げ。沈む。
「右から三体!」
「うん!」
ミオが右に跳ぶ。三体の魔物が突進してくる。
リンは動いた。
——自分で動く。
第二部で学んだこと。自分の足で動ける。動かなきゃいけない時がある。
リンが魔法を放つ。氷の槍。一体の足を凍らせる。
ミオが残りの二体に突進する。斬撃。斬撃。沈む。
最後の一体。リンが足を止めていた魔物。
ミオが振り返る。
「リン!」
「——私がやる」
リンは杖を構えた。魔力を集中させる。
三年前、リンは何もできなかった。指示を出すだけ。自分では動けなかった。
今は違う。
リンは魔法を放った。炎の槍。魔物を貫く。
沈む。
静寂。
「——終わり」
リンは息を吐いた。
「やった!」
ミオが駆け寄ってくる。リンに抱きつく。
「リン、すごい! 自分で倒した!」
「——うん」
リンは笑った。
「やればできるのよ」
ダンジョンを抜けて、地上に戻った。
夕暮れ時。空がオレンジ色に染まっている。
二人は並んで歩いていた。
「リン、今日すごかった」
「そう?」
「うん。前より——強くなった」
リンは少し考えた。
「強くなった、というより——」
「?」
「動けるようになった、かな」
ミオが首を傾げた。
「前は、怖くて動けなかった。『失敗したらどうしよう』って」
「うん」
「今も怖い。でも——動ける」
リンはミオを見た。
「あなたがいるから」
ミオが笑った。
「ミオも、リンがいるから動ける」
「そう」
「一人じゃ何もできない。でも、リンがいれば——何でもできる」
リンも笑った。
「依存ね」
「うん。依存」
「——治らない依存」
リンは自分の手を見た。まだ少し震えている。
「でも、これでいい」
「うん。これがいい」
ミオが笑った。
リンも笑った。
——やばいのは、わかってる。
ヴェルナーが言ってた。「代償は、いつか必ず来る」と。
レナも言ってた。「あの二人、やばい」と。
——でも、やめられない。やめたくない。
宿に帰った。
いつもの部屋。いつもの狭いベッド。
窓から夕日が差し込んでいる。部屋がオレンジ色に染まっている。
リンは窓辺に立った。空を見上げる。
「リン」
ミオが後ろから抱きついた。
「何してるの」
「——思い出してた」
「何を」
「最初の頃のこと」
リンは振り返った。ミオの琥珀色の瞳を見つめる。
「最初に会った時——私たち、壊れてた」
「うん」
「私は動けなかった。あなたは考えられなかった」
「うん」
「二人とも、一人じゃ使い物にならなかった」
ミオが頷いた。
「でも——」
リンはミオの頬に手を当てた。
「二人でなら、やれた」
「うん」
「今もそう。——ずっとそう」
夜になった。
二人はベッドに横になっていた。狭いベッド。体が触れ合う距離。
月明かりが窓から差し込んでいる。
「リン」
「何」
「ミオたち、変わったね」
「うん」
「最初は——『これでいい』だった」
リンは頷いた。
「依存を、仕方ないって思ってた」
「うん」
「次は——『これがいい』になった」
「孤児院の後」
「うん。依存を、選んだ」
ミオがリンを見た。
「今は?」
リンは考えた。
「——『これでいい、そして許されてる』かな」
「許されてる?」
「マルコに。レナに。——自分自身に」
リンは目を閉じた。
「依存してる。それは変わらない。でも——後ろめたくない」
「うん」
「私たちは、こういう二人なんだって。——わかった」
ミオがリンを抱きしめた。
「ミオも」
「うん」
「リンといるのが、一番いい」
「——私も」
二人は抱き合ったまま、しばらくそうしていた。
体温が混じる。呼吸が重なる。心臓の音が聞こえる。
「リン」
「何」
「好き」
ミオの声が小さかった。
リンは笑った。
「私も」
「ずっと一緒?」
「ずっと一緒」
「離れない?」
「離れない。——離れたくない」
ミオが顔を上げた。涙が光っている。
「えへへ」
「泣いてるじゃない」
「嬉しいから」
リンも涙が出そうになった。
「私も」
窓の外で、月が静かに二人を見守っていた。
狭いベッドで、二人は寄り添って横になっている。
リンの黒髪とミオの銀髪が混ざり合っている。
二人の呼吸が重なる。同じリズム。
依存。
それは変わらない。むしろ、深まっている。
一人では動けない。一人では考えられない。一緒じゃないと壊れてしまう。
それは——病気だ。異常だ。
ヴェルナーも、レナも、エルマも、ドクも——みんなわかっている。
「やばい」と。「代償が来る」と。
でも。
二人は、それを選んだ。
「これでいい」から「これがいい」へ。
「これがいい」から「これでいい、そして許されてる」へ。
依存は治っていない。
治す気もない。
いつか代償が来るかもしれない。
それでも——今は、これでいい。
消極的な受容から、能動的な選択へ。
罪悪感から、許しへ。
そして——覚悟へ。
二人で一人。
それが、二人の答え。
——たとえ、それがどれだけ危うくても。
リンは目を閉じた。
眠りに落ちていく。穏やかな眠り。
夢を見た。
マルコが立っている。笑っている。
「お前は生きろ」
呪いじゃない。願い。
リンは頷いた。
「生きる。——ミオと一緒に」
マルコが笑った。満足そうに。
そして、消えた。
リンは安らかに眠り続けた。
朝が来た。
リンは目を覚ました。隣にミオがいる。
いつもの朝。いつもの温もり。いつもの匂い。
——起き上がろうとして、やめた。
ミオから離れると、また手が震えるから。
——まだ、治ってない。
——治らないかもしれない。
——でも。
——これでいい。
——これがいい。
——そして、許されてる。
リンは笑った。少し自嘲を込めて。
ミオの髪を撫でた。銀色の髪が指の間をすり抜ける。
「おはよう」
小さく呟いた。
ミオがまだ眠っている。でも、少し笑った気がした。
リンは目を閉じた。
もう少しだけ、こうしていよう。
——離れられないから、じゃない。
——離れたくないから。
二人で一人。
それが、私たちの道。
——たとえ、誰に何と言われても。
*第30話 完*
*第3部 完*