66
Years of Life
40
Years in Military
2
Dismissals
1
Masterpiece
幼年期・青年期 (1888-1914)
1888.6.17
誕生。クルム(現ポーランド・ヘウムノ)にて。父フリードリヒは陸軍中尉。
1901
カールスルーエの士官学校に入学。
1907
ベルリンの陸軍士官学校へ進学。
1908
少尉任官。第10ハノーファー軽騎兵連隊に配属。
1913
マルガレーテ・ゲルネと結婚。25歳。
1914
長男ハインツ・ギュンター誕生。
第一次世界大戦 (1914-1918)
1914.8
第一次世界大戦勃発。通信兵として従軍。無線通信の重要性を体験。
1915
参謀課程を修了。
1917
参謀将校として各戦線で勤務。
1918
次男クルト誕生。終戦時は大尉。
戦間期 (1919-1939)
1919
ワイマール共和国軍(ライヒスヴェーア)に残留。
1922
自動車化部隊に配属。機械化戦術への関心が芽生える。
1927
自動車輸送部隊の教官に就任。戦車戦術の研究を本格化。
1931
自動車部隊監察部参謀長。装甲部隊創設の構想を練る。
1935
第2装甲師団長に就任。装甲師団の実戦運用を開始。
1936
著書『Achtung - Panzer!』(注意!戦車)出版。電撃戦理論を公開。
1938.2
第16軍団長に昇進。
1938.3
オーストリア併合(アンシュルス)に参加。
1938.11
自動車化部隊総監に就任。装甲部隊の発展を主導。
第二次世界大戦・勝利期 (1939-1941)
1939.9.1
ポーランド侵攻開始。第19装甲軍団長として電撃戦初の実践。
1939.9.14
ブレスト=リトフスク占領。
1940.5.10
フランス侵攻開始。アルデンヌ突破を指揮。
1940.5.13
ムーズ川渡河。48時間で歴史を変えた瞬間。
1940.5.14
スダン突破。フランス軍防衛線を粉砕。
1940.5.24
ダンケルク停止命令。追撃中止を強いられる。
1940.6
フランス降伏。電撃戦の完全な成功。
1940.7
上級大将に昇進。
1941.6.22
バルバロッサ作戦開始。第2装甲集団司令官として東部戦線へ。
1941.7-9
スモレンスク包囲戦。30万人以上を捕虜に。
1941.8
キエフ転進命令。モスクワ直撃を主張するも却下される。
1941.9
キエフ包囲戦に参加。66万人捕虜の「大勝利」だが、時間を失う。
1941.10
タイフーン作戦開始。モスクワへの最終攻勢。
1941.12.5
ソ連軍反攻開始。モスクワ攻勢頓挫。
1941.12.26
1回目の解任。独断での後退命令が原因。予備役編入。
休養と復帰 (1942-1944)
1942
病気療養。心臓疾患の治療。
1943.2.28
装甲兵総監に就任。スターリングラード敗北後の危機で復帰。
1943.7
クルスク戦(ツィタデレ作戦)。グデーリアンは作戦に反対していた。
1944.7.20
ヒトラー暗殺未遂事件。グデーリアンは関与せず。
1944.7.21
陸軍参謀総長に就任。暗殺未遂の翌日。
参謀総長と終戦 (1944-1945)
1944.8-
東部戦線の防衛戦を指揮。ヒトラーとの対立激化。
1945.1
ソ連軍のヴィスワ=オーデル攻勢。東部戦線崩壊。
1945.3.28
2回目の解任。病気療養を理由に事実上の更迭。
1945.5.10
米軍に投降。終戦。
1945-1948
米軍による尋問。戦犯として起訴されず釈放。
戦後 (1948-1954)
1948
回想録の執筆開始。
1951
『Erinnerungen eines Soldaten』出版。独語版回想録。
1952
英語版『Panzer Leader』出版。世界的ベストセラーに。
1954.5.14
死去。シュヴァンガウにて。享年65歳。心臓病。
1954
ゴスラー市墓地に埋葬。

電撃戦最強。グデーリアン最強。

66年の生涯、すべてが前進だった。前進あるのみ。